大山湧水物語 その2
5人の息子達を主要箇所に配置し、盤石な体制を整えた英祖王。在位中は大きな問題もなかったようです。
即位の期間は1260年〜1299年。
しかし!!!
英祖王亡き後、争いが起こってしまいます。
英祖王統は、五代1349年まで続きますが、争いが起こったのは四代玉城(たまぐすく)王の時。
1322年。
悲劇は北部の今帰仁城で起こりました。当時は仲宗根若按司が今帰仁城主でしたが親戚にあたる
怕尼芝(はねじ)がクーデターを起こし、城主を討ち、自ら北山王を名乗り奪い取った今帰仁城を
本拠地としてしまいました。なんと同族の争い!?
余談ですが、英祖王亡き後、2代、3代の王も短命政権に終わり4代玉城王に至っては国政を顧みず
弛緩した政治をしていたとも言われています。
物語の行方はどこにいくのだろ〜という感じがしますが、王の優れた血筋は面白いところで繋がってい
くこととなります。
さて続きは次回!!!!
マイペースに書きますが気長に楽しみにしていてくださいね^^